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南京町列伝~それぞれのエピソード

其の二 戦前、ゆったりおおらかな華僑人世界

呉 信就/広東料理店 民生~ (後編)

南京町には池があった!

エピソード2:写真1…こどもの頃、私が走り回っていた南京町は、通りも狭かったんです。その道の両脇に出店が並んでました。買い物客は多くて、押し合いへしあい。ぶつかるように歩く感じです。店といっても自分とこの両側に棒立てて、そこに麻のドンゴロス荷袋用の布を張り渡してた。垂れ下がって、パタパタしてね。、盥(たらい)に魚とか、入れて売ってるんですわ。野菜の籠とかも地べたに並んでた。屋台で食べ物作って売る店もありました。風が吹くとほこりも舞う、雨だとぬかるむ。今だと想像もつかないでしょうが…。

エピソード2:写真2…東南アジアのチャイナタウン辺りとかの雰囲気とよく似てますね。私もああ、昔は、こんなんだったなと思い返したりします。うちは肉屋をしていました。中華食材を扱う店もいろいろあって、にぎやかな町でしたよ。もちろんりっぱな中華店も数件ありました。
昔の中国の慣習というのか親戚の祝い事や、行事で人が集まると「鯉料理」を出して皆で食べるんです。ちょうど南京町の南側辺りに「池」があってね、子供に鯉をすくってこさせる。 小さかったんか、その池のちゃんとした場所も、いつ頃まであったのかよく覚えてないんです。

「お使いの命」を受けた「信就」少年は勇んで網と桶をもって取りに行っていた。

考えてみれば釣る訳でないし、すくって来るのだから「常に鯉がいる生簀」のような状態であったらしい。誰に咎められることも、お金がどうなっていたかも、どう管理されていたかもはっきりしない子供の頃の記憶だ。南京町の華僑人の社会に共有ルールがあったのかもしれない。そんな気もしている。

おぼろげな記憶だが昔のことを知る人が減り、自分が話さないといけないようになってきたことを実感しはじめた。

前回、町が荒れ果てた時期にどうして去らなかったのか、という意地悪な問いにも「来てくれるお客さんがいるし、自分にはここしかない。行きたくても他所がなかった」と即答した呉さん。 では南京町のこれからの課題を尋ねる。

…確かに難題もある。屋台と店舗とのこと、通りの飲食マナーのこととかね。でも、それも時期が来て問題そのものが淘汰してゆくのだと思っています。もちろん、いろいろ皆で考えてやって行きながらですけどね。おおきい流れや時のうねりのようなものに翻弄されもするけど、良い方向さえ持っていたらなんとかいけるのとちゃうやろか。 だって、あれほど大変な時期も乗り越えてきたんやから…

大きな笑い声とともに、ここでも澱みない答えが返ってきた。

(取材.文責Y)

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